MIYOSHI

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HIDEYOSHI DIARY

埼玉の電子機器組立及び製造工場、オリジナル防犯監視カメラや電気自動車製作のMIYOSHI社長、佐藤英吉の日記を掲載させて頂きます!

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2004年1月の日記

1月31日(土)晴

魔の土曜日。昨日からラインの体制をしっかり組んでいた。
全員出勤。やれやれと思いきや午後から一人頭痛にて退社。
やっぱり思ったとおりにはいかない。
結局検査チームは、7時くらいまで続いた。
2Fは、主力選手がいないにもかかわらず見事に本日出荷をかわした。

夜磯貝氏と食事になった。

実は、この1月前半の返品の話のときに「切られる」ことを覚悟した。
もし切られるとしても、最後くらいはよくやったと思われるようにしたい。
そう思った。
背水の陣で行動した結果、激減した。

磯貝さんには、これまで大変にお世話になった。
磯貝さんは決して、指示を言い放って腕組みして見ている人ではない。
むしろ第一線に入って解決していくタイプだろうか。
MIYOSHIの立ち上げの際にも大変にお世話になった。
どうかその磯貝さんの思いを裏切りたくない。
今日も返品は1台だった。激減しているし、以前とは、はっきりとちがって見える。

デイリー200台やりたいが、品質が伴わなければお願いできる内容ではない。
でもお願いした

1月30日(金)晴

昨日、久しぶりに会った小野塚さんにご馳走になった。

13年8月。私にとって忘れもしない会社の事実上倒産。
ある人は背を向けていなくなり、
ある人は会社を探りに来て、
ある人は在庫を確保しに来た。
ある人は債権の取り立てに毎日訪れ、
ある人は私達を罪人扱いした。

このときに、従弟の紹介で出会った小野塚氏。
この事態をどう乗り切るか、親身になって相談にのってくれた。
報酬目的のコンサルタントも親身になってくれているように見えたが、
債権確保の道がないことが見えるといつのまにか姿を消した。

小野塚さんは違った。
このときから2年半。私が借金のどん底の時も、
一文無しで昼夜働いているときも、
黙って食事に誘ってくれては話を聞いてくれた。

平成14年2月。独立を祝ってくれた。
それから業績が伸びてきたことを心から喜んでくれた。
小野塚さんは、「佐藤さんのポジティブなところが、好きなんです。」
「まだまだです。いける所までいくんです。」とも。
まだまだ立ち止まって振り返ったりしている場合ではない。
もっともっと貪欲に、突っ走ろうと思った。
腹は決まっている。
あのとき見守ってくれた人に喜んでもらうために。
自分自身の勝利の人生のために。

返品問題は、ついに1台になった。
何をしたわけではないが、検査チームが一丸となって取り組んでいる。
トラックが到着すると駆け寄るようにして返品がないかを見に行く。

ラインに入ってびっくりしした。
「孫の手」が置いてある。何に使うのかを聞くと、
前工程の作業にミスがあると、「ビシッ!」といくのだという。
確かに3日ほど前に、前工程のこの部分を確認してくれと頼んだところだった。
もう一歩だ。組みたて不良ゼロを必ず勝ち取る。
今日で37歳になった。

1月28日(水)晴

1Fラインの返品数が減らない為に、
検査チームにてミーティングを行なった。

返品を減らすためにどうしたらいいかを、
自由に発言してもらう。

「人が足りない。」「人が安定しない。」
「製造からいいのものがこない。」
「全体的に緊張感がない。」
「引継ぎがうまくいっていない。」

たしかに検査チームには、ずっと無理を強いてきた。
休みが出れば、ラインへの応援に入る。
だからといって、検査を誰もが手伝うわけにはいかない。
思えばこの論理でスタート当初は、日中ラインで夜検査という日々を送った。
約10㌔の本体を70回くらい持ち上げる作業と、
失敗の許されない最後の砦のプレッシャー。
誰もが嫌がるポジションだ。

だから、あえて優秀なメンバーで揃えてきたつもりだった。
でも甘かった。そもそも一人は一人。
体力的にぎりぎりで対応してきた。
毎日続けば、愚痴もでる。
集中力を無くし、はけ口を探す。
「自分たちは一生懸命やっている。返品は環境のせいだ。」
と言いたいところに私から、
「そもそも全数検査というのは、返品ゼロがあたり前なんだ。
検査のフィルターを通したら、ラインからどんなものが来ても合格以外通さない。
そういうプライドをもってやれ!返品は全て検査の責任だ!」
と結局頭ごなしだ。

翌日、返品数一覧を作製。グラフ化して一目瞭然にした。
これはあまりやりたくなかった。
こうやって、張り紙だらけになっていくのがいやなのだ。

人の問題も積極的に動いた。
何より開始したのは、自分が検査をやることだった。
「一番大変なところに入る。」
自分は、これがポリシーできたつもりだったが、
「検査は、片手間に手伝うわけにいかない。」
などと、言い訳をかまして入って来なかった。
現実、ラインの体制つくりと2Fの納期対策でいっぱいいっぱいだった。
しかし、1Fをほおって置くわけにいかない。

徹底して入ることを決意した。
朝から晩まで入った。
面接や接客など、どうしてもというとき以外全部入った。
空気が変わったのはすぐに分かった。減った。
10日たった今日あたりになって、返品の内容が変わり台数も減った。

分かったことは、皆もともと一生懸命やっていたことだった。
ポイントをコントロールできていないことと、
やってきたことを素直に認めてあげる私でなかったことが問題だった。

その間、2Fも見事に対応してくれた。感謝。

1月26日(月)晴

日記が1週間あいてしまった。
この1週間は、本当にあっという間だった。

書類発行や、電話や、資金繰りや、駐車場の問題や、社員の交通費のことや、協力会社の月間売上や、社内の雰囲気や、車のメンテや、遅刻したフタッフの態度や、電話回線のことや、内職の仕事割り当てや、銀行の信用や、袋の調達先や、退職した人の手続きや、手形の割引や、タイムカードの管理や、面接や、文房具のことや、派遣社員の生活や、倉庫の耐久性や、HPのことや、弁当のことや、休みのことや、

コストのこと、
見積りや、人件費や、冶具や、基板実装費や、ビスの値段や、
追加工費の請求や、電気代や、派遣会社の選択や、

納期のこと、
1日数十枚のFAXや、人数や、土日出勤や、分あたりの上がり数や、
協力会社の生産能力や、内職の夜仕事のお願いや、

品質のこと、
検査チームの体制や、作業者の特性や、部材のチェックや、
返品数の集計表や、工程内検査項目や、手順や、ピッキングや、
ドライバーのトルクや、検査方法や、他社との違いや、電源の取り方や、
レイアウトや、検査員のミーティングや、

こんなことを考えていたら、1週間たってしまった。

1月17日(土)曇りのち雪

土曜日の出勤には、非常に気を使う。
昨日から、ラインの体制を明記して絶対休まないように念を押しておいた。
急休みなく、無事にスタート、と朝は思った。

今日は、並々ならぬ決意でラインに向かった一人がいた。
パキスタンの女性シャインさんだ。
パキスタンでは、女性が働かない習慣があり、
MIYOSHIが、生まれて初めての仕事だし、給料だった。
ところが、言葉とスピードの問題もあり、
活躍できる場所はラインしかない旨を伝えて今日が3日目。
ラインについていけなければ、残念ながらやめてもらう旨を宣言していた。
本人からも、「ぜひとも続けたい。お願いします。」と言われての、
最後の挑戦の日が今日になった。

今日はかわいそうだが、まわりからも手助けをせずに一人でやってもらって、
ラインを止めたら代わってもらうと伝えた。

1分55秒のライン。
必死に食らいつこうとするが、少しずつ遅れる。
鼻に汗を浮かべながら、思うように進まない作業に真剣に取り組んでいる。
「ラインを止めたら終わり。」
以前よりは、早くなっているのを感じたが、
ラインを止めるのは、時間の問題。
もう、じっと見ているのがつらかった。
そのとき、別の工程でラインを止めることになった。
「いずれにしても、ラインを止めるのは確実だった。」と、
心を鬼にしてシャインさんに伝えている時だ、
なんとラインの配電盤から煙が噴き出した。
「やばい。」ラインが動かなくなった。
これは、一番恐れていたことだった。
本日の180台の生産。午後の出荷。
これまでに経験していない、予想できない事態に、
皆は、さすがに対応した。

11名のラインスタッフは、
延長コードで電源を別からとって、
一工程終わるごとに手で送った。
配電盤の対策は、2名ですぐにとりかかった。
まわった。自動器は止まったが、ラインは止めない。
皆、台風が来た時の子供のように「楽しい」とまで言いながら。
すごいと思った。
ブーブー文句も出そうな事態に、笑って対応するこのパワーがあれば、
なんでもできると思った。

俄然元気がでたのが、シャインさんだ。
「チャンス!」トラブル対応の間に追いついていた。

午後から、打合せのあった私にメールが届いた。
午後から、頑張ったシャインさんに回りのメンバーがOKサインを出したと。
「合格。」喜ぶシャインさんの笑顔が目に浮かぶようだ。
どんなにか腹を決めて今日を迎えただろうか。
よく頑張った、本当によかった。
自分も見習おうと思った。
こういう姿勢で、一日一日を挑戦しなければいけないと思った。

打合せは、㈱エンジンさんだった。
かねてよりお会いしたかった斎藤氏27歳にお会いできた。
すばらしい青年だった。本当に有意義な語らいができた。
すばらしいメンバーでものづくりができそうだ。

1月15日(木)晴

今日は、「売れるものづくりをめざすマーケティング研究会」の今年第一回だった。
この研究会のおかげで、昨年は本当に勉強させていただいたし、
人脈もつくらせていただいた。
藤塾長と伊藤世話人に本当に感謝している。
この研究会で手がけた木製キーボードは、
その後試作2号の作製に取り掛かっている。
というより、またまたキーボードを喜市さんに送りっぱなしになっていて、
喜市さんが孤軍奮闘しているのだ。
本当に申し訳ないが、なかなか行く時間が取れなくて未だにお会いできていない。

さて今日の講演は、シアトルのピンポイント・マーケティング・ジャパン社の大澤裕社長と、㈱パワー・トゥ・ザ・ピープル社の有吉昌康社長、エルゴノミデザイン・ジャパン社のダーグ・クリングステット社長だ。

大澤社長は、プロフィールによると慶應出身で米国でMBA取得。TOEIC950点とあって、そもそも脳みそが違う感じだが、実に丁寧にプレゼンをしていただいた。
1980年代に海外渡航者が急増したように、間もなく日本の中小が米国の販路を使う時代がくる。セールスレップを活用した販路開拓で、グローバルニッチ企業を目指そう。との内容。
有吉社長は、5万人の登録者を抱えるマーケティングサイトを運営。とくに今回は、エルゴノミデザイン社とのタイアップによる商品開発プロジェクトの紹介をされた。ダーグ社長から、商品自体を触らせていただいて説明を受けた。実に、25年間モデルチェンジをせずに売れつづけているもの。商品開発に2~3年掛けて、25年売る。他より高いが他の追随を許さない。この研究会で学んだことの集大成のような製品だった。
当然のことながら名刺交換をさせていただいた。一度お邪魔させていただきたいと思っている。
私の会社は、どこへ行こうとしているのか。下請け製造業。
決められた図面に基づいて、言われたとおりに組みたてる。簡単なようだが、コスト、納期、商品によって違う品質レベルなど、それなりに能力を要求されるが、自社製品でない弱みをどう乗り越えるかを考えていた。ヒントになった有吉社長の一言が残った。
「ある携帯のボタン屋さん。本来P社やN社に言われたスペックで製品をつくればいいのだが、同じスペックなら安い方がいい。ただの価格競走に飲み込まれない方法はないか。マーケティング情報を手に入れて、他社にないボタンを開発。声がかかったときに、『そのボタンは、前回評判が悪かったものです。むしろこの方が良いと思って開発しました。』と。他社と競合することなく、他社よりも高い製品を納めた。」
下請け製造業であっても、決して末端ユーザーの声は無視できないし、実はそこに新しい何かがあるのかもしれない。面白くなってきた。

1月14日(水)晴

朝電話が入る。
「悪いけどさあ。」休日出勤して仕上げた製品のことだ。
「実は、仕様が変更になっててコンデンサー追加なんだ。
これから、全部付け直すんだけど、助けてくれないかなあ。」
要するにこちらへ指示すべきものが、指示されていなかったが、
いずれにしても100個全部開けて、部品の追加作業をするというのだ。
非を認めて「助けてくれ」といわれると弱い。
「分かりました。行きましょう!」
午前中に一日の体制を作って、11時半には出た。
高速で北へ1時間。大手メーカーに到着。風が強くて怖かった。
すぐに、道具を持って掛けつけた。
「お助けマンの登場に、さぞかし喜んでくれるだろう。」と思ったが、冷ややかな対応。
電話をくれた責任者以外は、うちのミスとでも思っているようだ。
こうなったら1分でも早く片付けようと、必死に手直しをした。2時間ほどで仕上げた。
電話をくれた責任者は恐縮して、「いやー、助かったよー」と。
その一言で報われた。
その現場の仕事を見ていて思ったが、
うちのメンバーの仕事っぷりは本当に気持ちいいと思った。
うちは手が止まればつぶれる。常にその危機感で仕事をしている。

1月13日(火)雨のち晴

朝、雨のため車が込み合い、スタッフの送迎やや遅れる。
今日から来る予定4名の内、2名が欠勤。急な休みも多く忙しい朝になった。
朝のうちに、雨が上がりほっとする。
倉庫があふれているため日中出しておくために、
雨が降っては困る状況になっている。
全体の体制が整って自分の時間ができたときには、10:30をまわってしまった。
本日出荷予定の81台は、11日(日)、12日(月)に出勤していただいたために、
100台の完成を見た。
これについては、得意先もいたく恐縮していたし、喜んでくれた。

さて明日出荷の1000台、朝到着予定の部材は午後になるとの連絡。
日中協力会社のSOCさんへは、容赦無く注文をつけた。
生産ペースでは充分だが、成形不良のカバーに時間がかかる。
結局合格品約250台、保留品250台までこぎつけた。
明日出荷が、700台に変更になり、その数も見えてきた。
これも、この休みをフルに活用した為で、得意先が恐縮していた。
その後、出荷予定が一日ずれた。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか。
なんとしても、約束を守って喜んでもらいたい。

休憩について一考した。
現在、午前5分、昼45分、午後10分の計1時間。
労務士によると、労働基準法上は、
6時間以上で45分、8時間以上で1時間の休憩が必要とのことで、
たとえ残業しても問題ない。
「休憩時間じゃないのにあの人が休んでいた。」「いやあの人が。。。」
などの声が耳に入った。大事なことだが、すごくいやな気分だった。
ずっしりと疲れが出た。
人が多くなるとこういうことになって、やがてルールをたくさんつくって、
そのルールで足りない所を、さらにルール化して縛りつけて、
挙句の果てに、ルールで自らを縛らなければ身動きできなくなる。
仕事も、自分と人との境界線をつくって他に無意識になり、
マニュアルに書いていないことはやらなくなる。
ざるだらけの職場だ。

ある時ガソリンスタンドに行った。
給油の時間ゆっくり休みたいのでシートを倒していたら、
「窓をふいていいですか。」「吸いがらはありませんか。」
「消臭剤はいりませんか。」「窓のふきむらはありませんか。」
とそのたんびにドアを開けては閉めた。
彼は、一生懸命マニュアル通りにやったのに、
そのときの私にとっては何のサービスにもなっていない。

コーヒーショップに行った。
毎朝寄っているうちに、砂糖とミルクを黙って入れてくれた。
他の誰にでもそうしているわけではないので、
マニュアルでないと分かった。また行こうと思った。

今のうちのスタッフは、
やる気の集団だし、他にかかわりを持とうとする。
自分さえ良ければいいなどと思う人はいない。
だから、担当以外のミスも見逃さないし、自分が終われば人を手伝う。
そういう良心の上にうまく成り立ってきた。
だから組みたてにルールは必要だが、
会社運営のルールは最小限にしたい。

残業時間までチャイムを鳴らして休憩時間を知らせることを考えた。
が、やめた。その人のやり易いように、自由に休んでもらえばいい。
そういうやり方で節度をもってやっていけるスタッフだからだ。
出来なくなったら、ルールでがんじがらめにするが、そんな会社は私がやめたい。

1月10日(土)晴

15台できた。
前年の今ごろ、同じ機種を一日かけて20台をやっと仕上げていたが、
初めてのメンバー2名入っても、午後からで15台完成した。
その他のセクションも納期に追われながら、全てこなした。

メンバーの覚えの早いこと。本当に気持ち良く仕事を進めて仕上げられた。

会社としては、
①品質②スピード③多能性④責任感⑤協調性
の5項目で評価して昇給を決めている。
この内容は、しょっちゅう口に出している。
本来、品質とスピードは反比例するものだが、
人の場合は、そうとは限らない。
速くて、尚且つ品質のいい人が結構いる。

その上で、重要視しているのが多能性。
こっちもあっちも喜んでやる。
しかも、一度やったら忘れない。
こういう人が、品質とスピードを兼ね備えていると、
各リーダーが、常に納期との闘いを強いられているために、
あちこちのセクションで引っ張りだこになる。

昇給がある上に、残業を頼まれ、休日の対応もお願いされる。
月の受け取り額に大きな差が出てくる。
「仕事は、忙しい人に頼め。」とあるが、
きっとこういうことなのだろうか。

私は、務めが長いからといって絶対に昇給しない。
逆に、5項目で能力を発揮した人には、入社した月でも昇給する。

新しい仕事をお願いしたときに快く受けられないのは、多能性のマイナス。
急な休みや、納期意識の無さは、責任感のマイナス。
仕事は出来るが、トラブルを起こす人は、協調性のマイナス。
常に、この5項目で出来るだけ公平に評価しようと心がけている。
昇給した際には、なぜ昇給したのかを説明するようにしている。
逆に、「なぜ昇給がないのですか?」を聞かれれば、一人一人説明できるつもりだ。

その上で思うことは、
毎日の生産内容がめまぐるしく変わるのに、
よくぞいやな顔ひとつせずに、皆対応しくれると思う。
「はい、終わりました!」「じゃあ次これね!」「はい!」
「やっぱり、こっちやってくれる?」「はい!」

一時は、居酒屋出身の山崎さんのおかげで、
「はい!」の代わりに、「喜んで!」が流行った。

今日は、そんな声が聞こえてくるような一日で、
忙しかったが、本当に気持ち良かった。楽しかった。

1月9日(金)晴

1F2F人手不足はやむを得ないが、
急休みなくスタートでひとまず安心。

●14日出荷の新製品。
13日入荷予定の成型品がNGと判明。
今度は、返却予定の部品を急遽削って使用することに。
外注では、一旦取り付けた部材を外してもらっていろところで、
また、取り付けることになった。二つ返事で、笑って受けた。
こうなったら、嵐がきても、トラックが来なくても、
14日16:00の1000台出荷してやる!

●別のリコールによる再製作業。
本日入荷予定で待っていたが入らず。
何かの手違いらしい。
急遽別の作業をする。
もうこういうのは、急遽と言わないことにする。

●明日からは、携帯の基地局ユニットの生産に入るが、
日々の出荷に追われて準備が思うように進んでいない。
この部材の入荷で遂に、倉庫があふれてきた。
これまで、広いだけがとりえだった我社も、
初めてスペースの問題を感じるようになった。

今日は給料日。一人一人事務所にて手渡しさせていただいた。
それにしても、うちの女性群は、本当によく働く。
残業で大変なときよりも、仕事が切れて早く帰ってもらう方が気をつかう。
最近は、内職をもって帰る人が増えてきた。
7時、8時まで仕事して、内職を持って帰って、
翌日元気よく持って来る主婦。恐るべし。
明日も仕事、あさっても仕事。
家庭は、どういう状況だろうか。。。

1月8日(木)晴

「腰が痛いので」「頭痛のなので」「連絡が取れません」7人休み。
休みが多いとやる気がでてくる。
「やってやろうじゃないの!」
休みの多いときは、必ず口にする。
あたりまえだが、これまで休みが多いからといって、
ラインを止めたり、納期をずらしたりしたことはない。
どれだけの休みに耐えられるか。
「やってやろうじゃないの!」

今日は、新製品の工程配分や初期動作チェックなど、
やること盛りだくさんだったが、あえてラインに入った。

しかも、これまで恥ずかしながらやったことのない場所。
2回止めてしまった。くそ!

朝から、電話の雨あられ。
やむを得ず、耳に電話を当てながらのライン作業。

午後になって、電話の内容がヘビーになる。
14日に出荷予定の新製品。
支給部品の成型不良で、再製の必要あり。
入荷は、13日。

得意先からは、
「到底無理なので、他社に半分出します。」とのこと。

すでに部品完納で動き出していたこの仕事。
協力会社で組立て、うちで検査梱包出荷の予定を、
協力会社とうちで2ラインに急遽変更し、工程内容を変更して、
ぎりぎりまで前加工をして13日を待つ体制にした。
「全部うちがやります!」との結論を午後2時過ぎには出した。
「本当ですか?助かります!」と得意先。
このやり取りをライン作業中にやっていたら、
見かねたスタッフが「代わります」と、ラインを首になってしまった。

協力会社SOCの長西社長曰く。
「佐藤社長がそこまで言うなら、徹夜してでもやりましょう!」と。
本当に助かった。言った以上は14日16:00の1000台出荷絶対に成功させる!

1月7日(水)晴

「社長ぉ~、めちゃくちゃですよぉ~。」山本くんにしかられた。
6名のチームのセクション。昨年から3人減しているところに、
さらに、人を午後から減らすというのだから、彼が言うとおり。

「そもそも、この会社の存在がめちゃくちゃなんだよ」と思うが、
ぐっとこらえた。

昨年の今ごろは、年末に受けた仕事の給与の目途が立たず、
銀行まわりに明け暮れていた。
給料日は10日。三井住友、武蔵野、あおしん等々、
一年前に父の会社が倒産したなんの信用もない僕が、
「貸してくれ」とまわりにまわった。
相手にされなかった。
最後に飯能信金だけが、聞いてくれた。
担保なしの個人保証のみ。
「自信あるんですね!」「あります!」
このやり取りで、400万借りて命拾いした。

先日、埼玉県の経営者の集う会合で講演をさせていただいた。
内容は、「2人から30人へ急成長する町工場MIYOSHI」。
聞いていた銀行各店は、急に押しかけてきたが、
「一番きびしい時に貸してくれなかったじゃないか。」
と、工場だけ見て帰ってもらった。 あのときの400万がなかったら、
そのときの得意先の配慮がなかったら終わっていた。
おかげで、2月には10倍以上の仕事になって跳ね返ってきた。

突っ走るだけが能の私が経営する会社が、
存在すること自体が”めちゃくちゃ”だと思う。 結局、皆8時まで残業して対応してくれた。
ありがとうございました。みなさんのおかげです。

1月6日(火)晴

今日は、1Fラインを休みにして、皆2Fに応援に入った。
指示を出す人、受ける人。こういう時に、小ロットはきつい。
段取りをして、指示をする。
その人の出来映えを確認しながら、次の段取りをする。
段取りもままならない内に、次の指示を受けにくる。
受ける方も、出すほうもつらいが、
多品種、少量、短納期の常だから、仕方ない。

午後から、一人面接。採用。
数えてみれば昨年は、94名の面接の約束をした。
そのうち、面接にこない人、採用したが初日からこない人で、
3割くらいを締めるだろうか。
その次に多いのが、1日でやめる人。

ぎりぎりのコストで戦っているために、
「徐々に慣れてもらって、しばらくはミソ。」
などと、甘っちょろいことが言ってられないのがうちだ。
そのために、初日からガンガンやってもらう。
ガッツある人が残り、ない人が1日でやめていく流れになった。
これでいいと思う。
おかげで、遊んでいられない雰囲気を社内につくっているし、活気がある。

明日は、面接3名の予定。来ていただけるだろうか。

1月5日(月)晴

体調不良他休み4名。全体朝礼であいさつ。出社の皆元気で何より。
ふつうは、仕事そこそこに新年会だろうが、最初からトップギア。
この一週間は、これまでに経験をしていないくらいのオーダーなのだ。
これまで、2社をメインに1社分の仕事がプラスされる程度。
今月は、4社の仕事を同時に動かす初めての経験。
朝礼後、得意先への挨拶は電話で失礼して、車で都内へ部材を取りに行く。

皆初日から残業で気の毒だが、ありがたく思いたい。

1月4日(日)晴

あけまして、おめでとうございます!!
この年末年始は、妻の大阪の実家にお世話になっておりました。
なんとも居心地がいいもので、ゆっくりさせてもらいました。
帰って体重計に乗ったら、大変なことになっておりました。

帰って、さっそく会社行って、無事なので、ひとまず安心しました。
明日、皆元気に集えますように。。