MIYOSHI

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HIDEYOSHI DIARY

埼玉の電子機器組立及び製造工場、オリジナル防犯監視カメラや電気自動車製作のMIYOSHI社長、佐藤英吉の日記を掲載させて頂きます!

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2006年12月の日記

12月31日大晦日

誰かに寄りかかって生きてきた人生。

父が亡くなり、母が亡くなり。。

支えられて、喜んでくれる人がいて、
ここまで来れたと、この年の瀬痛切に感じる。

子供がいて、家族がいて、従業員がいて、
地域の人がいて、取引先があって。。

自分の力で乗り越えたものなんて何一つないのに、
大変なものを背負ってしまった。

「さあ、頑張ろう。」とか、そんな生易しいもんじゃない。

12月28日(木)晴れ

みんなよくやってくれた。最高の仲間。

今日まで、MIYOSHIの看板背負って、よく頑張ってくれた。
入間では、涙の別れをしたと聞いた。

散らばって仕事してるので、集まる予定ではなかったが、
皆、仕事が終わって会社にもどってきた。

健気なメンバー。可愛くて仕方がない。

今年一年、皆の健闘に感謝。

そして来年、どうかよい一年になりますように。

一人会社に残り思索する。

今期テーマを「挑戦」とした意味深し。
先人の魂を無駄にしてはならない。
がむしゃらにやるべし。かっこなどいらない。

12月27日(水)気温20度

1月のプロジェクトも、2月以降に繰越し。ガクッ。

会社の「金のなる木」咲いてるのに。。

反面、仕事を紹介してくれるところもあり。感謝。

鉛フリー半田は、能力としては安定した。
小林課長他スタッフは、短期で立ち上げて、よく頑張った。

次は、デイリー100枚を目指す。

12月26日(火)大雨

判決下る。2月からのプロジェクトは無し。

夕方、わざわざ来社いただき判決が下った。

MIYOSHIが、何かヘマをした訳ではない。
理由は確かにはっきりしている。

1000坪単位の広さと人があるか、
成型やマウンタなどの設備を持った上で、
サブAssyまで組み立てる能力を持っているか。。

MIYOSHIは、町工場に毛がはえたようなもの。
中途半端だ。そういう結果だ。

医者に見離されてからが、生命力の見せどころとも言う。

中途半端なりの生き方とは。。
中途半端と言わせない存在意義とは?

今日も、一社来社。ぜひとも今後ともよろしくとのこと。
確保しておきたい工場であることは確か。。

12月25日(月)晴れ

半田実装70枚。

今期テーマ「挑戦。」

産みの苦しみを抜けて、
次の「採算」や、「ポカよけ」「安定品質」か。

いい仲間に感謝。

12月22日(金)晴れ

朝から晩まで半田だ。

朋子さん頑張ってる。

マリサありがたい。

昨日は12歳の子が、とんかつ作ってくれたと。
主婦に残業させて申し訳ない。

12月21日(木)晴れ

悔しい。

100枚のうち40枚NGと言われて逆切れ。
小林課長と、
現場に行って確認して、手直しして23時。

ますますやる気になってきた。
誰にも文句言わせないレベルになってやる。

この対応で、
夜の管理職ミーティングは短時間になってしまった。

これまで一人悩んできた悩みを、そのまま打ち明ける。
「だったら仕事取って来いよ!」言われるのは分かっていた。
相手に吼えてるようで、自分に気合入れてんだ。
昨日の亀田と同じだ。格好つけたってしょうがない。

管理職には、同じ意識でいてもらいたい。

ダメなら、会社潰して出直しだ。

12月20日(水)晴れ

鉛フリー半田の応援。
自分も数こなして、ものにしたい。

そういう意味では、やりたいことは山ほどある。
経営やりながらでも、できることはやりたい。
身につけたい。

ダウンライト型の除菌消臭装置を開発した、
デンネツさんが、2度目の来社。
ノロウィルスの騒ぎで、工場がパンク寸前とのこと。

これまでも、世間を騒がせた事柄での特需は、
アスベストで、防塵マスク。
新紙幣で、紙幣識別機。
鳥インフルエンザで、中国の仕事がMIYOSHIへ。
車、バイクの盗難で、防犯装置。
異常気象、地震で、防災無線。
番号ポータビリティで、携帯基地局。

その都度、柔軟に対応してきたから得意先は20社を超えた。

便利屋で居続けることの難しさもあり。

だからと言って、リベートや接待で仕事をもらおうとする行為。
自分は絶対にやらない。仕事で正当に評価してもらう。

丸井のバイヤー時代、ボールペン一本もらって、
上司に死ぬほど叱られたことを思い出す。

仕事で喜んでもらうことが全て。
それが分かってもらえない会社とは、付き合えない。

12月19日(火)晴れ

朝から、岩槻の倉庫へ。
不足部品の対応。

入間を回って、
久しぶりの営業時間中の出社。

管理者の育成をどうするのか。

経営マインドと言うが。。

来年から、
毎週月曜日、朝7時から8時半を管理職会議にするか。。
希望者は、誰でも参加可とかにして。

能力があるかないかじゃない。
気がついているかどうかだけだ。

少なくとも、自分が考えていることくらいは、
伝えておかないと。その時間が必要だ。

12月18日(月)晴れ

基板実装を見事に立ち上げた小林課長。

工場をひとつ立ち上げるくらいの苦労があったと思う。

まして、最初の打ち合わせ以外は全部一人でやった。

大いに褒めてあげたい。のに、

つい電話では厳しいことを言ってしまう。

「今の人数で何とかしろ!
自分で対応しろ、解決しろ!
品質最優先だ!」

無理ばかり言ってすみません。
感謝してます。

石川實から電話あり。嬉しい報告。

頑張れ!

12月14日(木)

現場2日目。環七事故渋滞。

ますます構想が膨らむ。
メーカーと下請けとの違いも実感。

まだまだやりようはある。

夜、会社に横井社長駆けつけてくれる。

種々心配をしていただく。感謝。

この日より、仕事の相談がにわかに多くなる。

12月13日(金)晴れ

関さんと1日、足立にてインパクト片手の作業。

心地よい疲れで6時終了。
皆は、10時までやるとか、これから現場に行くとか。
タフだ。自分も現場に行ってみたい。

会社に戻る。

12月11日(月)晴れ

2月からのプロジェクト。

フィフティフィフティとの話、週末にあり。

それを受けて、朝ミーティングを持つ。
ここに鍵がある。MIYOSHIの武器は?

「5分の1で出来ますか?」
と言い残して中国へ行った会社。
「開発から一括で出来ますか?」
と言い残して大手に行った会社。
「1000台できますか?」
と言い残して地方へ行った会社。
「成型から一貫して出来ますか?」
と言い残して他社へ行った仕事。

それでもあるとするならMIYOSHIの強みは?

この5年は、たまたまいい会社にめぐり合えたのか?
得意先が40件の板金加工会社は、忙しくて仕方がないと言っている。
そもそも20社じゃ少ないのか・・・

スタッフのスキルアップ。幅と深さ。
まだまだ。。

鉛フリーの基板半田を、水曜日から量産スタート。

12月8日(金)曇り

従業員泣かしちゃいかん!

社長しっかりせい!

忘年会。。。

「早く皆で揃って仕事したい!」

派閥のない団結のMIYOSHI。
愛社精神たっぷりのスタッフ健在。

社長の責任ずっしり。感謝。

12月6日(水)晴れ

川越から、群馬へ。

途中入った大先輩からのメール。
「お仕事頑張って。」との一言。
こんなにしみることもない。

忙しい時にこなすことより、
今が大事だ。今が勝負だ。

時間のない中、桐生市内をご案内いただく。
恐縮。大経営者の描いた絵を拝見する。

大人物の生き様を見た。

自分はどこへ行くのか。

12月5日(火)晴れ

忙しいって何か。

大プロジェクトが終わり、
「やることがありません。」
から、自分で仕事探してできるようになったが、
今度は、仕事をつくるようになる。
「今週は、忙しいです。」
売上半分に減って、忙しいはない。

馴れは怖い。

12月4日(月)晴れ

一人の今月末退職の発表。

代わりはいない。

会社としての体は、何らかの形になるだろうが、
穴の大きさを、現場は実感するだろうと思う。

12月1日(金)晴れ

12月突入してしまった。

朝、昨日のビックサイトの状況を、
社内全員に報告。

会議には、皆あまり慣れてないので、
少し時間が経つとそわそわしてしまう。
「こうしてていいんだろうか。」
働き者の集まりだから仕方ない。

久しぶりに半日社内。

午後、各出向先に訪問。
皆、元気で安心した。活気とは仕事量に比例する。

サイトを見たという会社から訪問の依頼。

ビックサイトにて知り合った人に葉書を投函。